民間武術探検隊は行く

第二章  老師登場

我々民間武術探検隊の前にその姿を現した老師は、推定年齢40才前後、身長185cm位の長身で、いかにも山東人という感じだ。我々が事前に得ていた「山東省の民間武術家は背が高い」の情報に合致する。

しかし、それと同時に「民間武術家は閉鎖的である」との情報が、一瞬脳裏を過る。素晴らしい鳥のおっさんが「日本から武術の交流をするために朋友們(友達)がやって来た。」と老師に告げる。

すると、老師は素晴らしい笑顔で、我々民間武術探検隊に握手を求め、「歓迎、歓迎、朋友們。」と暖かく迎え入れてくれたのである。

ぉおお!!なんて友好的なんだーだだだっ!

我々民間武術探検隊の来訪の意図を告げると(たまたまここに来ただけだが(^^;)、「好、好、じゃあ、『shu法』」を教えよう。」と老師が言う。すると一番弟子(この人物が一番弟子かどうかは、実際確認した訳ではない。が、風貌、技術、その他を総合して民間武術探検隊が判断した結果、恐らく一番弟子であろうという結論に達した。)が「まだ彼らには 『SHU法』は無理じゃないか。」と老師に言う。そのうち、民間武術家の間で議論が始まった。

しばらくその議論は続いたのだが、「いや、あの日本人は我々の表演を見て崩歩拳という事を看破したぞ。」という素晴らしい鳥のおっさんの一言が決め手になり、我々にそれを伝授してくれる事になった。

「う〜むむ。『shu法』とは一体なんだ。『書法』じゃないよな〜(四声も違うしぃ)。」と思っていると、「顔を殴って来い。」と身振りを交えて老師が言う。間髪入れず、螳螂拳士I田隊員が老師の顔面に突きをたたき込む。すると、電光石火の早技でI田隊員は「でえ〜ん」と倒された。一瞬、自分の身に何がおきたかわからないI田隊員であったが、素晴らしい老師の早技に倒されたのに気づくと満面に笑みを浮かべ、うれしそうに起き上がり、ズボンの埃を払う。そう、この老師が我々の探し求めていた「本物の民間武術家」であるという事がわかったからだ。

それから老師は、今I田隊員に使った技を丁寧に説明し、老師自らが受けに回ってコツを伝授してくださったのだった。どこの馬の骨ともわからない我々民間武術探検隊に、次から次へといろいろな実戦用法を惜しげもなく、懇切丁寧に指導して下さるのだ。こんな素晴らしい民間武術家の老師に出会えたのはまさに「天の意志」であろう。「お〜まいぶっだ。」である。

紹介が遅れたが、この老師の名は「張福洲」。門派は「梅花螳螂門」。そして、その師は、梅花螳螂門第六代伝人「王国典」であるという事だ。

「王国典」老師は最近世界的規模で作った螳螂拳の研究組織(残念ながら名称は?)の三人いる偉い人(理事か何か)の中の一人(ちなみに故劉雲樵もそのうちの一人)だそうだ。当時86才の高齢でありながら、張福洲老師をして「力も技も全然かなわない」と言わしめるほどの実力を備えた生粋の民間武術家である。

そして、手法(『shu法』は手法でshoufaの山東なまりがshufaであった。意味は用法、実戦用法である)の練習が一区切りし、この頃には「必要以上に丁寧な怪しい日本語を操る老人」と「日本人女性と会話しておぼえた(と思われる)日本語を操るおじさん」の門人も現れ、彼らの怪しい日本語と我々の怪しい中国語と一番頼りになる筆談でいろいろ怪しい会話を交わす。

「君達日本でいつ練習してるの?」の問いに、「え〜と、日曜です。(ボクは日曜の蒲田、新宿の練習に通っているので)」と答える。すると「えっ!?」と驚いた顔をする民間武術家。彼らにしてみれば老師と毎日練習するのは当然で、一日のうちで何時に練習するのかを聞いたつもりだったのだ。「老師との練習は週一回だが、個人の練習はしている。」と慌てて答えたが、環境と言うか意識の違いというか、いろいろと考えさせられた。

そうこうするうち、張老師の素晴らしい表演を見る事になった。速さと力強さを兼ね備えた見事な表演である。見た事のない套路(螳螂門の套路なんてほとんど知らないけど)だったので「なんつー套路ですか?」と尋ねると「欄接拳だ。」と言う。

ぉおお!!これが噂に聞く「欄接から摘要に至れば、鬼神といえども避け難し」の「欄接拳」か〜、と思っているとノートに何やら書いてくれている。ふむふむ。ほう、ほう、

螳螂拳基本拳

第一 崩歩 第二 欄接 第三 愉(←の人偏の字)桃 第四 摘要 第五 八肘

なにぃ〜。八肘拳だってぇ〜!!「崩歩から八肘に至れば、神仙といえどもかわし難し」の、あの八肘拳なのか〜。これはぜひとも見たい。ど〜しても見たい。見たいったら見たい。足をじたばたしてしまう位見たいっ。ここで見逃したら、もう一生見る機会は無いかもしれない。そう思ったらもう如何ともしがたく、無礼を承知で(八肘拳は秘伝と聞いていた)恐る恐る「あ、あのぅ〜、八肘拳が見たいんですけどぉ〜」と言うと、いともあっさり「好」の一言。幻の八肘拳を見せてくれたのであった。

うう (T^T)「我が生涯に一片の悔いなしぃ〜。」ではないが、もう良かったす、ほんと。しかし、惜しむらくは、民間武術探検隊必須装備のビデオをその時に限って装備しておらず、録画は出来なかったのだ (T^T)。(写真は撮ったけど)

そして、我々探検隊も返礼として、不肖私の「奇形花撃炮(完全版)」、螳螂拳士I田隊員の「螳螂拳」、そして、K田隊員と私の三合炮や連環手等の活歩対練を表演した。

それが終わり、また「手法」の説明が始まる。「必要以上に丁寧な怪しい日本語を操る」老人は、螳螂拳士I田隊員をいたく気にいったようで「怪しい日本語」を駆使し、I田隊員に付きっきりだ。

そのうちもう一人の日本語を操るおじさんが、「あなた方さえよろしければ、試合をいたしましょう。」と話しかけてきた。ぉおお!!これは「民間武術家は好戦的である。」の情報通りだ。ボクとK田隊員で「どうするか、どうするか。」と話し合ったが、「やはり、常松隊長に黙って出てきて、老師の知らない所で勝手に他流試合しちゃ、ちょっとマズイんでないかい。」の意見が通り、丁重にお断りしたのであった。

試合と言っても、門派の意地をかけて、勝ち負けのみを決めるだけの争いではなく、友好的交流という意味であったと思われる。今から思えば残念な事をしたものだ。

しかし、ちょっと恐かったというのも本心である。民間武術家の言う試合が、どの程度のものか全くわからないし、当然防具なんてないし、ルールが無いのがルールかもしれないし..。でも、やっぱりもったいなかったなあ。

まあ、そんなこんなで、あっと言う間に時は過ぎ、中国人の練習生達も一人二人と老師に挨拶をして、去って行く。常松老師に黙って出てきた我々も、そろそろ朝食で隊員達が食堂に集まる時刻だ。名残惜しいがそろそろ引き上げねばならない。

張老師に今日のお礼を言って、引き上げようとすると、「君達、いつまでここ(煙台)に居るんだい?」と老師。あいにく我々はその日の午後には帰国の予定だ。その旨告げると、「じゃあ、今日の午前中はどうだ?」と言う。午前中は王啓増老師の知り合いの店で買い物の予定だが、そんなものはなんとでもなる。しかし、常松老師に許可を貰わねばなるまい。そこで、常松老師に確認をとって連絡をするという事で張老師の電話番号を聞く。張老師の方の都合は大丈夫なのかと思い、「張老師、今日お仕事は大丈夫ですか?」と聞くと「あるけど大丈夫だ!」と力強く言う。ぉおお!!さすが中国。男気のある答えに妙に納得してしまった。

そして、大急ぎで宿舎「体育之家」(すっごいネーミング。まるで高校の部活の合宿で使う宿舎のようだ。)に戻り、食事に遅れた事を詫び、張老師の事を常松老師に報告する。午前中の予定の変更をお願いすると、OKのお返事。他の寝坊組探検隊隊員達も賛成だ。

早速、常松老師に頼んで張老師に電話してもらう。張老師もOKで直ぐにも来てくれるとの事。ボクが玄関で待つ事になり、しばらくすると自転車に乗って張老師登場。常松老師に引き合わせ、王啓増老師の顔で取れた体育館へ探検隊一同張老師と共に向かう。

体育館に着くと張老師おもむろに持ってきた小さな袋から「白鞋」を取り出し、履き変える。何気ない動作だが、「う〜ん、伝統民間武術家だ。」と思わせる。そして、朝やった「手法」を引き続き、隊員に丁寧に指導してくれる。今度はビデオもばっちりだ。最初、ボクは撮影をしていたのだが、途中で居ても立ってもいられなくなり、撮影をやめて、練習の輪の中に混じる。そして、老師の技や力を実際に味わう。やはり、この人はスゴイ。常松老師に師事していなくて、良い老師を探している時であったなら、間違いなく教えを請うだろう。

張老師の功夫は並ではない。隊員の一人は腕を掴まれただけで、皮が剥けてしまったほどだ。螳螂門恐るべし。用法としては通背門と似た技もあったが、一番異なる点は相手の腕を掴む所だ。通背門は「速さ」を重視するので、相手の攻撃を受けても、掴む事は極力しない。相手の攻撃をそらしさえすれば、後はその手を次の攻撃や次の防御に早く移してしまった方が良いと考えるからだ。もちろん、相手の攻撃を受けた時は、その相手の手が直ぐには反撃出来ないような状態にはしておく。しかし、張老師の螳螂門では基本的に相手の攻撃を受けた時、それを強力な握力で掴み、はなさずに体勢を崩して次の攻撃に移るようだ。

楽しい時間というものは瞬く間に過ぎてしまうもので、決別の時がせまってきた。「朝の練習ではビデオがなくて、八肘拳が撮れなかったので、もう一度見せて下さい。」と張老師にお願いすると、快く引き受けてくれ、今度はバッチリと撮影できた。(^-^)

そして、最後に皆で記念写真を撮り、「素晴らしい民間武術家」張福洲老師にお礼を言ってバスに乗り込んだ。

そして我々は張老師の姿が見えなくなるまで、ちぎれるほど手を振り続けたのであった。謝謝、老師。一定見。

帰国後、張老師との練習風景を撮った写真とお礼を書いた手紙を張老師の元へ送った。数週間後、張老師から数枚の写真と共に返事の手紙が来た。

「君達は我々が出会った5番目の外国朋友們だ。一緒に過ごした時間は、大変短いものであったが、印象はとても深い。機会があれば、必ず私の老師の所へ連れて行こう。我々は共に武術を愛する仲間だ。互いに交流して、技術を高めよう。 張福洲」(すっごく要約してま〜す)

同封の写真は、張老師が王国典老師と一緒に練習している写真であった。

今回(と言っても何年も前の話しだけど)の訪中は我々民間武術探検隊に素晴らしい出会いを与えてくれた。この素晴らしい民間武術家との出会いが各隊員達に何をもたらしたかは、各隊員自身にしかわからない事だ。

しかし、これだけは言える。

『またいつの日か我々民間武術探検隊は「素晴らしい民間武術家」との出会いを夢見て、新たな旅に出るのだ。』

(終わり)

語句解説

○山東省の民間武術家は背が高い
武術家に限らず、山東人は身体がでかい(と聞いていた)。

○民間武術家は閉鎖的である
非常に保守的でその技術を限られた弟子にのみ秘かに伝え、全く外部に伝えない民間武術家も存在する(そういう人の方が多いかも)。

○民間武術家は好戦的である
言葉通り。中には「漢方薬を持っているから(試合を)やろう(当然勝つ気でいる)」と言われた人もいるようである。

○梅花螳螂門
螳螂門の分派の一つ。他に七星派、秘門派、六合派、八歩派等が存在する。

○劉雲樵
神槍李書文(近代八極拳史上有名な使い手)の関門弟子(最後の弟子)劇画「拳児」の中に出てくる「劉月侠」のモデルにもなった。

○奇形花撃炮
祁氏通背門小架式に伝わる初級套路

○三合炮、連環手
祁氏通背門小架式の代表的な散手技法

○散手組手
技を限定したものから自由に打ち合うものまでいろいろ。

○活歩対練
歩きながら二人組になって打ち合う練習方法。

○八肘拳
肘を多用する高級套路。なかなか目にする事はない(と思う)。

○崩歩から八肘に至れば、神仙といえどもかわし難し
螳螂門では、はじめに崩歩拳を学び、最後に八肘拳を学ぶ。つまり、正しい段階を追って、最後まで正しく学べば神仙といえどもさけ難い功夫がつくと言う事。

○欄接から摘要に至れば、鬼神といえども避け難し
上と同じような意味。

○白鞋
紐付きの白い運動靴。映画だと決まって「布鞋」を履いているけど、普通はこれ。

○王啓増
煙台市在住の民間武術家。我々の常松老師とは秘宗門で従兄弟弟子位の関係。その弟子には、10数年前日本で公開され大ヒットした映画「少林寺」で酔拳を演じた「孫建魁」がいる。実は我々が駅に着いた時、孫さんが出迎えに来てくれていた。ボクは「やけに少林寺に出てた、孫建魁に似てるなー」と思い、常松老師に尋ねたが、老師はその事を知らなかったようで、「違うよ」と言っていた。しかし、見れば見る程似ているので、別人だとしたら、気味が悪いなと思っていた。結局、後でやはり本人という事がわかり、安心(^^;した。今回の旅行でいろいろと我々の面倒を見てくれた。とても親切な民間武術家だ>孫さん

○常松老師
民間武術探検隊隊長。大連で育ち、現在は日本で祁氏通背門小架式を伝える。中国でも数少ない小架式の使い手。


    左から素晴らしい鳥のおっさん、I田隊員、子供、ぼく、張福洲老師、     崩歩拳の女の子、K田隊員、怪しい日本語を操るおじさん

民間武術探検隊 隊員 わたる


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