民間武術探検隊−大連を行く−

最終章 祁氏通背門小架式

     四日早朝、「今日こそは。」とベッドから起きだし、デイパックにビデオ、カメ     ラ等を詰め込む。フル装備だ。清水隊員も起きだし、「わたる隊員、行こう!」と     言う。やはり、我々の気持ちは一緒だ。一心同体、民間武術探検隊。      装備を整えた我々は大会の時着用していた民間武術探検隊特製のウインドブレー     カーを羽織る。さあ、行くぞっ!!      外へ出ると之隊員とI藤隊員が朝練をしている。フル装備の我々を見ると「行く     の?」と問いかけてくる。「はい。」と答える。「ちょっと、待ってて、用意して     くる。」装備を整えすぐにやってきた。よ〜し、民間武術探検隊、出発だ。     (しかし、この時約二名の新人隊員は爆睡状態にあった。民間武術探検隊は時とし     て非情である。)      我々探検隊一同は逸る気持ちを抑え、労働公園へと向かう。西門をくぐり恐い顔     の夏老師一門の練習場へと進む。もう既に練習生が何人か来て、練習を始めている     ようだ。      ふと、少し前にある木のそばを見ると、バイクでやって来た人がいる。夏老師だ。     相変わらず恐い顔をしている。      しかし、今が絶好のチャ〜ンス。話しかけるなら今しかない。行け。行くんだ。     民間武術探検隊。      勇気を振り絞って恐い顔の夏老師の前へ歩み出る。     「早上好。ぼく達は日本の常松老師の学生で通背拳を習っています。夏老師達の練     習をぼ、ぼく達に見せて下さーい。」と一気に言う。おそらく、その時のぼくの顔     はヒクヒクしながらもニコニコしようとする、とても怪しい顔であったに違いない。      そんな怪しい我々の申し入れではあったが、誠意は伝わったのか、恐い顔の夏老     師が「おう。判ってる。判ってる。常老師の学生だな。」と少し恐い顔で(注.恐     い顔ではなく、少し恐い顔である)我々を暖かく迎え入れてくれたのだ。     「夏老師、ありがとうございます。ウルウル」目に涙を浮かべ(ウソ度100%)お礼を     言うと「じゃあ、少し身体を動かしな。」と少し恐い顔の夏老師が言う。      をををっ、「通背拳を教えて下さいっ。」というのはあまりにも恐れ多いので、     「練習を見せて下さい。」と言ったのに、我々の気持ちを察して、夏老師の方から     そう言ってくれるとは。流石、伊達に顔が恐いだけではないないぜ。      軽く身体を動かす我々に「私はここで陳氏太極拳と通背拳を教えているが、通背     拳はあまり教えていないんだよ。」と少し恐い顔の夏老師が話しかけてくる。     「えっ、なぜですか?」とすかさず質問すると、少し恐い顔の夏老師が、なんと、     苦笑いを浮かべながら、「なぜですか?う〜む。それはだな。先ず第一に、通背は     難しいからだ。そして次に・・」と我々探検隊に語ってくれたのだ。      しか〜し、非常に残念な事に、そこから後は、悲しいかなぼくの語学力では、良     く聞き取れなかったのだ。何度か聞き直したが、だめであった(T^T) 。恐らくは、     「秘伝」というと大げさかもしれないが、それに近いものではないかと思われた。      さらに話しは続く。「套路は何を習った?」「奇形花撃炮、小連環、明堂功です。」     「ふむ。奇形花撃炮に小連環か。大連環はやったか?」「まだです。」「あと、な     んだっけ?」「明堂功です。」「ん?明堂功?」「え〜と、ゆっくりするヤツです。」     「小周天か?」「いえ、違います。」・・・夏老師のところには明堂功は伝わって     ないようである。     「いつも、どんな練習をしてるんだ?」「基本功、五行掌、あと対練です。」     「やってみな。」      そこで、揺臂法の単手後揺や双手をする。それを夏老師が見て、いろいろアドバ     イスをしてくれる。基本は同じようだが、その基本功をする時に、どこに重点を置     くか等、細部で異なる所があるようだ。     「顔を突いてきな。」      ををを、煙台の張老師と同じ事を言うな、と思いつつ、間髪入れずに、恐い顔め     がけて立拳をとばす。すると、素早い動作で突きを払うと同時に、潜り込むように     懐に入り撩陰掌だ。うっひゃ〜、速い。しかも先端がちょっと当たって痛いぞ。     「後揺はこの撩陰掌の意味があるから、この角度を意識して練習しろ。」と言う。     をを、常松老師と同じだだだっ。      そして、夏老師は我々探検隊一人一人の手の甲を何やらチェックし始めた。それ     が済むと「手の甲を上にして前に出せ。」と言う。何するのかな〜、と思って手を     出すと、何と恐い顔の夏老師、その出した手の甲に向かって、いきなり問答無用、     「おもいっきり、劈(ピイ) 」だ。しかも、夏老師も手の甲だ。すっげぇー痛ぇー。      恐い顔の夏老師は、ぼくのそんな思いなんて「そんな事、全然、知らんもんねー」     ってな感じで、「おもいっきり、劈。しかも手の甲」の連打、連打、連打だだだっ!!      何回「おもいっきり劈。しかも手の甲」を有り難く頂いたかは、よく憶えてない     が、今度は、夏老師が手の甲をぼくの前に差し出す。そして、やっぱり恐い顔でこ     う言った。     「おもいっきり、劈。しかも手の甲だ。」      既にぼくのやわな手は、「じんじん」の極致一歩手前だ。しかし、ここでやらな     ければ民間武術探検隊員として名折れだ(最も折る名など、もともと持ち合わせて     ないが)。手はどうせ、「じんじん」の極致一歩手前だ。直ぐに「じんじん」の極     致になって、痛さも判らなくなるだろう。      覚悟を決めて、夏老師の手をめがけて、「おもいっきり、劈。しかも手の甲」を     おもいっきりする。      しかし、なかなか「じんじん」の極致には到達しない。「じんじん」の極致一歩     手前の痛さが続くのだ。      夏老師はぼくが打つ度「よし、よし。」と日本語(なぜか)で言うだけで、「を     らをら、どした。全然平気だもんね〜。」という感じだ。あとで手を見たら、情け     ない事に紫色に内出血していた。     「あとは何をしてるんだ。」夏老師が言う。「はい、伸肩法をしています。」     「おお、そうか。伸肩法は『通背之母』と言われるくらい重要で、いろいろな練習     方法があるんだ。・・」といろいろ説明してくれるが、やはり細部は聞き取れない。     (T^T)(T^T)(T^T)(T^T)       が、なんとラッキー。そこへ常松隊長がやって来たのだ。     「常松老師、夏老師にいろいろ伝授してもらってたんです。」と話すと、常松老師     は夏老師といろいろ話しを始めた。常松老師は快手として有名だが、話す言葉も、     とても快手だ。恐い顔の老師(常松老師は普段は普通の顔だが)が二人揃って何や     ら話し込んでいる。      そのうち恐い顔の夏老師は昨日の大会でゲットした「栄誉證書(賞状のデラック     スなヤツ。金銀銅の三種類がある。夏老師はもちろん金賞。)」を取り出すと「こ     こに日付とサインをしてよ。」と常松老師に頼んでいる。(常松老師はその大会の     主催団体である「国際武術気功研究会」の会長である)そして、常松老師のサイン     を貰うと夏老師は「これで、他の人のとは違うぞ〜」と、とても嬉しそうだ。以外     や以外、なかなか可愛いところがあるではないか。      おっ、そろそろ時間が迫っている。(その日の午前中の飛行機で帰国だ)ここで、     夏老師にお願いして、五行掌をビデオに撮らせてもらう。我々以外の五行掌を見る     のは始めてだ。夏老師は、またいつもの恐い顔に戻って、技を披露してくれる。     [才率]は三段階の練習法を見せてくれた。二段階、三段階は我々のものに近い。     も似ている。穿は結構違うぞ。捻りが無いようだ。は似た感じ。も似てはい     るが陳式の影響があるようにも見えた。      先日、套路を見た時には、あれ程、我々の通背と違うと思えたのに、こうやって     個々の技を見せてもらうと、源は同一だと感じさせられる。      夏老師の通背も、我々と同じく修剣痴大師の流れのものであるらしいが、套路の     みを比べると常松老師のものとかなり風格が異なる。しかし、実戦用法で見ると、     ほぼ同じと言えるだろう。常松老師の通背は、套路も単練も用法も差はない(と、     ぼくは思う)。      しかし、夏老師のものは、何かの目的があっての事と思われるが、それらの間に     差があるようだ。また、ぼく個人の見解であるが、力の発し方に陳式の影響も多分     にあるようにも思えた。(この常松老師の通背と夏老師の通背の違いについては、     もう少し調査して別の機会に述べてみたい。)      ここで突然、夏老師が白拳法着で髭の若い男を呼んだ(第三章の男とは別人)。     で、「三合炮対練を見せてやろう。」と言う。探検隊一同、「ををををっ」とどよ     めく。      二人向かい合い、引手から夏老師ゆっくり、[才率]、拍、鑚と歩を進める。     そして次から徐々にスピードを上げて行き、[才率]、拍、鑚の三合炮連打だだだっ!     白拳法着の男たまらず避け、逃げる。そして、再び構え直して、今度は逆に白拳法     着の男が夏老師に三合炮だ。夏老師、数発避けた後、一瞬、空中で体を入れ換え、     を出す。素早い。探検隊一同、またまた、「ををををっ」とどよめく。     す、すげぇ〜。白拳法着の男は、いやぁ、まいった、まいった、という感じで、照     れ笑いをしていたが、突然、鼻を押さえ、天を仰ぐ。夏老師のどれかの攻撃が入っ     たのであろう。鼻血であった。またまた、「をををを〜(こればっかり(^_^;)」と     どよめく我々。      その後、常松老師の方も返礼として、之師兄を相手に「一手連三手」を見せる。     この時、之師兄は口の中を切ったそうである。民間武術家の生徒は大変なのだ。      そして、名残は尽きないが、時間が来た。民間武術探検隊の通常装備のカメラで     記念撮影をして、一人一人お別れの挨拶をする。堅い握手を交わす我々と夏老師。     「謝謝、夏老師。再見!!」      こうして、今回の民間武術探検も無事終わった。五日間という短い期間ではあっ     たが(しかも、最後の交流は一時間半程度)、また、なにものにも変え難い貴重な     体験をする事ができた。夏重規老師という素晴らしい民間武術家との出会い。いつ     の日かまた訪れてみたい。隊員の誰もがそう思った事であろう。だから、民間武術     探検隊はやめられない。      今回の報告はこれで終わりである。      またいつの日か我々民間武術探検隊は「素晴らしい民間武術家」との出会いを夢     見て新たな旅に出るのだ。        (完)      語句解説      ○フル装備       記録用にカメラ、ビデオ。筆談になった時、すぐ出せるように小さいメモ帳と       筆記用具。呼び水として、拳法ズボンなどを着用。それと中国の人は名刺が好       きなので、名刺。あとは着替えとタオルってとこかな。      ○特製ウインドブレーカー       今回の探検のために作ったアシックス製のウインドブレーカー。胸のマークが       かっこいい。民間武術家にも評判が良く、「日本製か?」「良いな」「いくら       だ?」とか、結構、訊かれた逸品。(ただ、背中のマークが、ちとでかくて、       恥ずかしい)      ○常老師       中国人の姓は一字が圧倒的に多く。「常」という姓もあるので、「常松 勝」       ではなくて「常 松勝」と思っている人が多い。常松老師もそう勘違いされる       事が多いせいか、訂正しない。      ○奇形花撃炮、小連環、大連環       通背門に伝わる套路。通背大師「修剣痴」先師の代に多くの套路は編纂された。       今回の表演会で夏老師が表演したのは「五十四手」。秘伝と呼ばれる部類の套       路である。      ○明堂功       祁氏通背門小架式の中で最古の套路。この明堂功と通背功は他の套路と異なり       非常にゆっくりと行う。通背門には套路がいくつかあるが、元々は明堂功、折       拳の二種しかなかったと言われている。中国の通背拳関係の書籍にもあまり記       される事はなく、伝承者も少ないと思われる。ぼくはまだ、常松老師のものし       か見た事はない。      ○小周天       呼吸法、気功法で一般に知られている小周天とは異なり、通背門の套路の一つ。       明堂功のようにゆっくりと行う。      ○撩陰掌       絶招の一つ。単純にして、効果絶大。手の甲、もしくは掌で相手の金的を打つ       技。打たれる方もイヤだが、打つ方もイヤかもしれない。      ○絶招       奥儀、奥の手、必殺技。      ○五行掌       祁氏通背小架式の五つのちょ〜基本技。[才率]掌、拍掌、穿掌、劈掌、鑽拳の       五つ。五行通背拳とも呼ばれる所以である。      ○伸肩法       祁氏通背小架式、最重要の基本功。四種類あり、定歩から始め、その後、活歩       で行う。一人でもするし、二人組んで、推手のような練習方法もある。      ○三合炮       祁氏通背小架式の基本的ではあるが、とても重要な散手技法。大連には三合炮       だけで、ちょ〜強い民間武術家がいるそうだ。[才率]掌、拍掌、穿掌の三手を       使うが、実は奥が深い。                            民間武術探検隊 隊員 わたる

常松老師と夏老師

夏老師(左)と常松老師(右)


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