民間武術探検隊−大連を行く−

第三章 恐い顔の男達

     遠くから見た時は、結構若そうに見えた白拳法着の男だが、近寄ってみると我々     と同年代位だ。髭なんかはやして、顔は少し恐そうだ。      いつもの事ながら、見ず知らずの民間武術家に話しかける時は緊張する。何しろ     いきなり怪しい面々が、怪しい中国語で話しかける訳だから、話しかけられた方も     「なんだ、こいつら。」と思うだろう。      しかし、いくら怪しくても、話しかけない事には始まらない。精一杯の笑顔を浮     かべて「早上好(おはよーございますぅ)。ちと、お伺いしますが、もしやそれは     通背拳ではありませんか?」と遠慮がちに訊ねる。「なにぃ〜、とんべい(通背)     だぁ?」とジロジロ胡散臭そうに我々を見る白拳法着の男。(うっ、何か機嫌悪そ     うだ。やっべぇ〜。)      しかし、ここで退いてはいけない。民間武術探検隊はしつこく、そして、ずーず     ーしくなくてはいけないのだ。「ぼく達、日本で通背拳を練習していて、通背拳の     出来る民間武術家を探してるんです。」「ふ〜ん、そうか。じゃあ、しゃあ老師の     とこへ行きな。」「へ?しゃあ老師とは?」「俺も昔習っていた老師で、通背拳と     陳式を教えてるんだ。」「ををっ!」ここら辺で髭の男とすっきり顔の男も話しに     加わってきた。      で、この白拳法着の男が言うには、夏重規という老師が、この労働公園の西門の     そばで、通背拳と陳氏太極拳を教えているという事だ。これは、まさしく昨年の隊     員が目撃した「通背使いの民間武術家」に違いない。      よし、行くぞ。おっと、その前にお礼だ。「謝謝ロ阿(ありがとございまぁ〜す)」     と言うと、「いいって事よ。」と白拳法着の男は恐そうな顔ではあるが、はにかん     だように笑う。別に怒っていた訳ではなく、普段からそういう顔の男であったよう     だ。やはり民間武術家は良い人ばかりだ。      挨拶がすむと我々は、髭の男を先頭に、西門へとずんずん向かって行った。      なんと、西門は我々が入ってきた門であった。そのそばには木々に囲まれた空き     地があった。そして、そこには10数名の人々が集まり、武術の練習をしていたの     だ。      我々が最初通った時には、確かに誰も居なかったはずだ。やはり「民間武術家の     朝は早いが、そんなには早くない」だ。      見るとみんな個々に好きな練習をしているようだ。陳式が多い。しばらくすると     黒拳法着の男が彼らに向かって何か言った。      すると今まで、個々に練習をしていた彼らが、その黒拳法着の男の前に並び始め     た。皆が並び終えると、黒拳法着の男が馬歩の姿勢をとり、また何かを言った。皆     一斉に馬歩の姿勢をとる。      思わす「ををっ!!」と声が出る我々探検隊一同。すかさず時計を取りだし、時     間を計る。民間武術家はどの程度馬歩をするのかを計るためである。      また黒拳法着の男が何か言う。今度は皆弓歩の姿勢をとる。あの黒拳法着の男が     夏重規老師に違いない。      そう思っていると、夏老師は、生徒の間を回りながら、弓歩の後ろ脚の上に乗っ     たりして姿勢のチェックを始めた。そして時には自ら範を示したりもする。生徒達     は虚歩、歇歩、仆歩、独立歩等、架式の練習を続けて行く。      見たところレベル、年齢は様々だ。女性もいる。年齢が上の者が、功夫があると     は限らないようだ。      架式が終わると揺臂法(双手)や突きの練習を始めた。やはり全員で行う。とき     おり見せる夏老師の動きは柔らかく、素早い。生粋の民間武術家と見た。      しかし、白拳法着の男もそうであったが、夏老師も顔が非常に恐い。白拳法着の     男なんて比べものにならない程だ。そう言えば常松老師の通背拳の師もとても恐い     顔であったそうだ。「大連の民間武術家は顔が恐いのか?」そんな事を考えつ     つ、彼らの民間武術の練習に見入っていた。      そうやって、しばらく練習を見続けた我々だが、その場の雰囲気に圧倒されて、     なかなか声をかける事が出来ない。さすがにずーずーしい我々でも、ためらってし     まう何かが、確かにそこには存在するのだ。これは常松隊長にお越し頂かねば、声     もかけられそうにない。しかし、隊長は2日3日の大会の準備(後述)で大忙しだ。      さて、どうしたものか。とりあえず、我々探検隊一行はその場を後にした。      (続く)      語句解説      ○早上好        zaoshanghaoざおしゃんはぉ=おはようございま〜す。「にいざお」という        言い方もある(「にいはぉ」の「はぉ」が「ざお」ね)。      ○陳氏太極拳        現在、太極拳は陳、楊、呉、孫、武等、たくさんの分派に分かれているが、        それら全ての太極拳のルーツと言われているのが、「陳氏太極拳」である。      ○架式        基本となる立ち方の事。馬歩、弓歩、虚歩、歇歩、仆歩、独立歩等など、た        くさんの種類があり、門派によって名称や注意点等も、微妙に異なるが根本        的には、ほぼ共通する。      ○謝謝ロ阿       xiexieaしぃえしぃえあ=ありがと。基本形は「謝謝」だが、「ロ阿」を付ける       事により、「本場民間人っぽさ」がそこはかとなく感じられるようになる(ハ       ズ)。似たような使用例として「再見ロ阿!=さいなら」等がある。但し、大し       て話せもしないのに、こんな事ばかりしてると、後でとんでもない目に会って       しまう恐れもある。


第四章 表演会

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