武術を始めて、もう結構な年月が経ちました。その間、いろいろなとこで、 いろいろな人と出会い、いろいろ楽しい経験をしてきました。 という事で、今まで出会った老師達の事をちょびっと書いてみようかな、と 思います。古い話しは、多少記憶が曖昧なトコもありますが、まぁ、だいたい 事実に基づいています(^-^; 先ずは、秘宗拳、八極拳の『安天栄』老師です。
民間武術探検隊 ぼくが出会った老師達 - 安天栄老師編 - ぼくが安老師を初めて知ったのは、大阪で行われた第一回の表演大会で「中 国側の代表として八極拳を表演した」との記事を『武術SPECIAL』で読んだ時 である。それほど大きい記事ではなかったが、当時から八極好きであったぼく は、それを見逃さなかった。確か公の場で八極拳が表演されたのは、この時が 初めてであったと記憶している。 それから数年後、ぼくは民間武術探険のため、何度か中国へ行く事になる。 第二次民間武術探険は、真冬の大連であった。 「日本とそんなに変わらないよ。(大連出身、常松老師談)」 という話しを信じたぼくであったが、大連の冬はスペシャル寒かった。昼間 でも外へでると耳がちぎれるように痛かったのを憶えている。 そんな極寒の地(ちょっと大げさ(^-^;、大連において、我々は第一次探険時 に厳広財師伯の紹介で出会った金剛力功の于憲華老師を招き、再び金剛力功の 学習をする予定になっていた。 練習は我々が宿泊する南山賓館の一室を借りて行われた。一年振りの再会を 喜ぶ我々と于老師。 そんな中に、何か記録をとっている見慣れぬ男性がいた。めずらしく銀縁の 眼鏡をかけ、一見インテリっぽい。しかし、体つきから確実に武術家と思われ る。民間武術探検で培ったぼくの目を欺くことは出来ない。 他の隊員は気付かなかったかもしれないが、ぼくはその男性が、あの「八極 の安天栄老師」である事を見破っていた。(別に隠してた訳じゃないけど(^-^; もちろん常松老師の依頼で来ていたんです) ぼくは八極の安老師が気にはなっていたが、話しかける機会が見つけられ ず、「どうしよかなー、どうしようかなー」と思ってる間に、金剛力功の練習 が始まってしまった。 ひとしきり練習して、休憩時間に入った時、ふと安老師を見ると手持ちぶさ たからか、何やらちょっと身体を動かしていた。 めざといぼくは、それを見逃さず、安老師のそばへ寄って「ちゃ〜んす」と ばかり話しかけた。 「それって、闖歩(ちゅあんぶぅ)ですよね?」 「おう。八極の技だ。」 「もしや、安天栄老師ですか?ドキドキ」 「そうだ。」 「ぉおお〜」 なんてやりとりをして、やっと話しが出来た(^-^)。休憩前に我々が震脚っぽい 練習をやっていたので、八極の震脚の時に使う闖歩をやっていたようであった。 そんなこんなで安老師とお近づきになれた我々(特に八極好きな○○師兄と ぼく)は、練習後、安老師の部屋へ押しかけ、お願いして八極を教授して貰う 事になったのだ。 (続くよん) 語句解説 ○第一回表演大会 毎年夏に行われているあの表演大会の第一回目。当時、出てみようかな、 などと身の程知らずな事を考えていた(^-^; ○『武術SPECIAL』 季刊『武術(福昌堂)』の初の別冊。↑の表演大会の特集号。刀術で冠軍 したがおぷ館長(中国武器博物館)もでっかく載ってます。おまけで後ろ に『空手道』で連載された「中国武術の世界」「近代中国拳法名人伝」も 収録されています。 ○厳広財師伯 常松老師の秘宗拳の兄弟子。でかい身体で真面目でやさしい人。何度か日 本にも来ています。映画「燃えよカンフー」で羅漢拳をしていた人です。 ○于憲華老師 河南省の人で金剛力功の老師。かわいがって貰いました。 ○金剛力功 気功の比率の高い功法。硬軟両方あります。 ○銀縁の眼鏡 当時、黒縁の眼鏡が多かった(気がする)中国でめずらしく銀縁だった。 ○闖歩 長春八極で多用する。震脚する時、爪先から入り踵をねじりこむように ひねって横を向く。重要らしい。日本語読みするとちょっとイヤ。 ○○○師兄 自他ともに認める八極好きな通背拳家(^-^;一撃必殺をテーマに日々練功 に励む。楽しい逸話も多い。 1997.05.30 民間武術探検隊 わたる